岩手病院院長就任あいさつ 佐藤智彦


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院長就任あいさつ

院長 佐藤智彦

  20年4月1日をもって、国立病院機構本部の矢崎理事長からこの由緒ある岩手病院の院長を拝命いたしました。先ず、院長就任に当たって私の自己紹介と病院への展望を述べさせていただきます。生まれは京都府舞鶴市です。父が仙台で歯科を開業しており、学校は全て仙台です。宮城県仙台第一高等学校、東北大学医学部を卒業し、医学生時代から長町脳研に遊びに行っておりましたので、迷うことなく昭和 46年、卒後直ちに鈴木二郎教授の脳研脳神経外科(今の広南病院、当時長町分院とも言われていた)に入局しました。医局生活は教授をはじめ諸先輩(高久先生、堀先生、佐藤壮先生、児玉先生、櫻井先生、吉本先生)の公私に亘る厳しい教育指導の下に月月火水木金金、睡眠時間は3〜4時間と身体的にはきつい毎日でしたが、医局全体が昼夜を問わず一丸となって当時、日本で死亡率第1位の脳卒中を撲滅しようと研究・学問・臨床に取り組んでおりましたので、私にとっては全てが新鮮で、苦しいと言うよりは楽しい医局生活でした。入局7年後、無給医時代から勤務医として櫻井芳明先生(現仙台医療センター名誉院長)と国立仙台病院脳卒中センターの開設に当たり、その3年後、昭和56年9月に大分医大脳神経外科教授が東北大脳研の堀重昭先生に決定した際、大学と基幹病院が一体になって臨床医を育てるという鈴木二郎教授の東北大学脳研方式ともいうべき形で大分市医師会立アルメイダ病院に脳外科を開設しに参りました。アルメイダとはルイス・デ・アルメイダという商人で外科医でもあるポルトガル人にちなんでいます。織田信長の時代に西洋文明を擁護した豊後藩主大友宗麟の下にフランシスコ・ザビエルが来て、その翌年にアルメイダは大分に来ています。そこでは農村の貧困から来る嬰児殺しを見かねて託児所を作り、それが高じて1558年、日本で始めて大分に洋式病院を作り、医学校もできたと言われ、日本の医学史上に名を馳せている由緒あるところから名付けられてます。しかし赴任した当時は病院自体、けっして質や規模ともに誇れるものではなく、インシデント・アクシデントだらけで医療訴訟に匹敵する事態が病院の至る所で山積しておりました。もちろん中枢神経系の診療に関しても皆無状態で、大分県は宮城県に比べて10年は遅れている感がいたしました。この医療の質を上げるために昭和58年TQC (TotalQuality Control: 全社的品質管理) の手法、その2年後には業績評価制度も取り入れられ、病院は見違えるように活性化と質の向上が得られました。私は常勤医の立場から実行委員として長くこれらに携わってきましたが、確かに問題解決の手法や人材の育成に関して、この2つの手法は絶大な威力を発揮していると思います(詳細は20年「医療の広場」4月号の扉に記載)。脳神経外科の開設に当たって、そこでは手術場、術後回復室、ナースセンター、リハビリもなく、全く無い無いずくめの中からガムシャラに脳神経外科はもちろん神経内科、神経病理、神経生理、リハビリテーション、救命救急、脳ドックとシステムを作り上げました。これは中枢神経系を中心とした予防医学からプレホスピタルケア、専門的診断・治療、急性期リハ、回復期リハ、そして地域医療の連携から維持期リハを行う病院完結型リハシステムが出来上がったことで、今では大分県ばかりでなく日本でも誇れる代表的な脳疾患治療施設となり、24年間、無事勤めを果たして、平成17年4月1日に国立病院機構宮城病院の副院長として故郷にもどりました。故郷の宮城県にもどり一番驚いたことは大分県とは逆に宮城県はリハビリを中心とした地域医療が10年以上遅れている感がしたことです。そればかりか医師不足がとんでもない状況に陥っていることでありました(この状況は岩手病院にもあてはまります)。宮城病院に来て真っ先に行ったことは、今まで取り消されていた日本リハビリテーション学会認定の教育訓練研修施設基準を復活させたことでした。さらに今の厳しい医療情勢では1病院ではどうにもなりませんので県南地区の5つある基幹病院と連携を保つべく県南Stroke-Netを木村院長と協力して立ち上げ、また地域医療充実のため、地元医師会との連携を密にするうえで、国立病院機構東北・北海道ブロックとしては始めての開放型病床の施設基準を宮城病院に確立する事ができました。そのためには地域医療連携室が充分に機能してくれなければなりません。幸い誠実で有能なスタッフに恵まれたこと、そして大分市医師会立病院に勤務していたノウハウ、また地元の亘理医師会の理事にもなっていたものですから開業医の先生方のご協力、もちろん病院内の勤務医の先生方のお力添えもあって実現できたものと思います。
今回、ご縁があって岩手病院へまいりましたが、ここは私が中学時代(今から約45年前)に心を動かされた中尊寺の一字金輪佛頂尊がある平泉を背にして広大な敷地に病院が凛としてたたずんでいます。しかし岩手病院は平成12年6月に医師不足のあおりから前代未聞の保険医療機関の取り消しを受け、職員の皆様は心身ともに大変な状態に見舞われましたが、清水元院長、阿部憲男名誉院長、千田副院長をはじめ医局の先生方そして職員皆様の並々ならぬ結束とご努力でその難局から抜け出そうとしております。今回、阿部名誉院長から膨大な資料を引き継ぎ、これまでの経過を読むにつけ、職員皆様の苦労とご努力に目頭が熱くなるとともに敬意を払わざるを得ません。温故知新、岩手病院の十訓は全て「十戒」として院長の私が背負います。岩手病院の職員皆様は伸び伸びと自分の能力を発揮してください。「己を忘れて人に尽くすは、慈悲の極みなり」をモットーに岩手病院では、1)和(輪)を持っての医療、2)TQCと業績評価制度を基盤にプロ精神に根ざした医療技術の提供、3)的確なる医療サービスの提供を目指しましょう。私も身体が続く限り「一日一日を大切にして最善を尽くす事」をモットーに皆様の勤勉さに報いたいと思います。よろしくおねがいいたします。
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