ジョン・F・ケネディ大統領就任演説(1961 年)

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http://youtu.be/BLmiOEk59n8
ジョン・F・ケネディ大統領就任演説(1961 年)


ジョンソン副大統領、議長、最高裁長官、アイゼンハワー大統領、ニクソン副大統領、トルーマン大統領、聖職者、そして国民の皆さん、

今日われわれは、政党の勝利を祝っているのではなく、自由の祝典を執り行っている。これは、始まりと同時に終わりを象徴するものであり、変化とともに再生を意味するものである。なぜなら、私は、1 世紀と4 分の3 世紀近く前にわれわれの先達たちが定めたものと同じ荘厳な誓いの言葉を、皆さんと全能の神の前で誓ったからである。

今や世界は、大きく変貌している。死ぬべき運命にある人類が、あらゆる形の人間の貧困とあらゆる形第35 代大統領ジョン・F・ケネディ 143 の人間の生命を根絶させる力を手にしているからである。しかし、それにもかかわらず、われわれの先達がそのために闘った同じ革命的な信念が、今も依然として世界中で争点となっている。それは、人間の権利は国家の寛大さからではなく、神の手からもたらされる、という信念である。

今日われわれは、自分たちがその最初の革命の継承者であることを忘れてはならない。今この時、この場所から、友人に対しても敵に対しても、次の言葉を伝えよう。すなわち、たいまつは米国民の新しい世代に引き継がれた、と。それは、この世紀に生まれ、戦争によって鍛えられ、困難で厳しい平和によって律せられ、われわれの古い遺産を誇りとし、そして、この国が常にそのために尽力してきた、そして、今日もわれわれが国内で、また世界中でそのために尽力している諸々の人権がゆっくりと奪われていく様子を目の当たりにしたり許したりすることを不本意とする世代である。

われわれの幸福を願う国にせよ、われわれの不幸を願う国にせよ、あらゆる国に対して、われわれは自由の存続と成功を確保するためなら、いかなる代償をも払い、いかなる重荷も負い、いかなる苦難にも立ち向かい、いかなる友人をも支持し、いかなる敵にも対抗することを知らしめようではないか。

われわれの幸福を願う国にせよ、われわれの不幸を願う国にせよ、あらゆる国に対して、われわれは自由の存続と成功を確保するためなら、いかなる代償をも払い、いかなる重荷も負い、いかなる苦難にも立ち向かい、いかなる友人をも支持し、いかなる敵にも対抗することを知らしめようではないか。

われわれは、これだけのことを、そしてそれ以上のことを誓う。

われわれが文化と精神の起源を共有する古くからの同盟国に対して、われわれは誠実な友人としての忠誠を誓う。一致団結すれば、多くの共同事業において、できないことはほとんどない。分裂すれば、われわれができることはほとんどない。反目し合い、ばらばらに分裂すれば、とうてい強力な挑戦に立ち向かうことはできないからである。

われわれが自由世界への仲間入りを歓迎する新たな国々に対しては、植民地支配のひとつの形態が過ぎ去ったあとに、単にはるかに強固な専制政治にとって代わるようなことはさせないことを誓う。われわれは、彼らが常にわれわれの意見を支持することを期待はしない。しかし、われわれは、彼らが彼ら自身の自由を強く支持することを望むとともに、過去において愚かにも虎の背に乗ることによって力を得ようとした者は、結局、その虎の腹の中に収まってしまったことを忘れずにいたい。

この地球の半分で、小屋や村落に住み、多大な窮乏の束縛から逃れようと苦闘している人々に対して、どんなに時間が必要とされようと、彼らの自助努力を助けるための最大の努力を誓う。それは、共産主義者がそうしているかもしれないからではなく、また彼らの票が欲しいからでもなく、それが正しいからである。もし、自由な社会が貧しい多くの人々を助けることができなければ、裕福な少数の人々を救うこともできない。

われわれの国境の南に位置する、われわれの姉妹である各共和国に対しては、特別の誓約をする。進歩のための新たな同盟において、われわれの善意の言葉を善意の行動に移し、貧困の鎖を断ち切るために、自由な人々と自由な政府を支援する。しかし、この希望の平和革命が敵対的な勢力の餌食となってはならない。われわれは、すべての近隣諸国に対して、米州のどこにおいても侵略と破壊工作に対抗するため、彼らに協力することを知らしめよう。そして、他のすべての勢力に対して、この西半球は今後も自分の家の主人であり続けるつもりであることを知らせよう。

世界の主権国家の集まりである国際連合、戦争の手段が平和の手段をはるかに追い越した時代の、われわれの最後の、そして最大の希望である国際連合に対して、われわれは、改めて支持を誓約する。国連が単なる罵り合いの場となることを防ぐために。新しい国家や弱い国家を守る国連の盾を強化するために。そして国連憲章の権限が及ぶ範囲を拡大するために。

最後に、われわれに敵対しようとする諸国に対しては、われわれは誓約ではなく要請を提示する。それは、科学によって解き放たれた暗黒の破壊力が、計画的あるいは偶発的に全人類を自己破壊させる前に、双方が新たに平和の追求を始めることである。

われわれは、弱みを示して彼らを誘惑することはしない。われわれの武器が疑う余地なく十分になったときに初めて、その武器が決して用いられないことを、疑う余地なく確信できるからである。

しかし、2 つの偉大で強力な国家の陣営は、どちらもわれわれの現在の進路に安心できずにいる。現状では、双方ともに近代兵器のコストの重い負担に悩まされ、双方ともに死をもたらす原子兵器の着実な拡散に当然の警戒心を抱きながらも、双方とも引き続き人類の最終戦争を食い止めている不確実な恐怖の均衡を変えようと競争を続けているからだ。

そこで新たに始めようではないか。再び原点に立ち戻り、礼節は弱さの徴候ではなく、誠実さは常に証明されなければならないことを双方が思い起こしながら、決して恐怖心から交渉をしないようにしよう。ただし、決して交渉に恐怖心を抱かないようにしよう。

双方とも、われわれを対立させている諸問題をくどくど論ずるのではなく、何がわれわれを団結させる問題なのかを探究しようではないか。

双方とも、武器の査察と管理のための真剣かつ厳密な提案を、初めて作成し、他国を破壊する絶対的な力を、すべての諸国の絶対的な統制の下に置こうではないか。

双方とも、科学の恐怖ではなく、その驚異を呼び起こすことを追究しようではないか。一緒に天体を探査し、砂漠を征服し、病気を根絶させ、深海を開発し、芸術と通商を奨励しようではないか。

双方とも、団結し、この地球の隅々にまで、「重荷を取り除き……虐げられている者を解放しよう」というイザヤの言葉に留意しようではないか。

そして、もし協力の拠点が疑惑のジャングルを押し戻すなら、双方とも協力し、新たな試みの創造、つまり新たな力の均衡を生むのではなく、強者が公正で、弱者が安全で、平和が保持される、新たな法の世界の創造に乗り出そうではないか。

このすべてが、最初の100 日間で達成されることはないだろう。それどころか最初の1000 日間でも、この政権の任期中にも、あるいはわれわれがこの地球上に生きている間でさえも、おそらく達成されないだろう。だが、とにかく始めようではないか。

市民同胞の皆さん、われわれの進路の最終的な成否は、私よりも皆さんの手の中にある。この国が建てられて以来、米国民の各世代は、国家への忠誠を証明することを求められてきた。軍務の召集に応えた米国の若者たちの墓は、地球を覆っている。

今、われわれを召集するラッパが再び鳴っている。それは、武器は必要ではあるが、武器を取れとの合図ではない。われわれは闘争の中にあるが、戦闘に参加せよとの呼びかけでもない。それは、年々歳々、「希望に胸躍らせ、苦難に耐えて」長いたそがれの闘いの重荷を引き受けよ、との呼びかけである。その闘争は、人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘いである。

われわれは、これらの敵に対抗して、より実り多い生活を全人類に確保することのできる、南北の、東西の壮大な世界的同盟を築きあげることができるだろうか。皆さんは、その歴史的な努力に参加してくれるだろうか。

世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込みしない。私はそれを歓迎する。われわれの誰一人として、他の国民や他の世代と立場を交換したいと願っていない、と私は信じる。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである。

だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。

世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。

最後に、あなたが米国民であれ、世界の市民であれ、今ここにいるわれわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ力と犠牲の高い基準を求めてほしい。善良な良心を唯一の確かな報奨として、歴史をわれわれの行為に対する最後の審判として、神の祝福と助けを求めながらも、この地球上における神の御業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、われわれの愛するこの土地を導いていこうではないか。



オバマ大統領就任演説

http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E7%AC%AC44%E4%BB%A3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E6%BC%94%E8%AA%AC

原文出典: whitehouse.gov http://www.whitehouse.gov/blog/inaugural-address/
オバマ大統領就任演説(英語音声・日本語字幕)1/2
http://youtu.be/D0kjGvkWtS8
オバマ大統領就任演説(英語音声・日本語字幕)2/2
http://youtu.be/E9fRSLwBe0g


オバマ大統領就任演説の全文

2009年1月20日、アメリカ合衆国議会議事堂のウェスト・フロントにて、200万人ともいわれる記録的な数の聴衆の前で行われた、18分31秒の演説である。


国民諸君。

私は、任務を前にして謙虚な思いを抱き、諸君から受けた信頼に感謝し、先人が払った犠牲を心に留めつつ、今日この場に立っている。ブッシュ大統領の我が国に対する貢献、並びに政権移行期間中に示した寛容と協力とに感謝する。

只今までに、44名の米国人が大統領就任宣誓を行った。その言葉は、繁栄という高波や平和という凪の中で語られたこともあった。だが、垂れ込める暗雲や吹き荒れる嵐の中で行われた宣誓もあった。こうした時に米国は、政府高官の技量と展望の故のみならず、 我々人民が先達の理想に誠実であり続け、かつ建国の文書に忠実であり続けたが故に、乗り越えることができたのである。

米国はずっとそうしてきた。我々の世代も、同様にしなければならない。

我々が危機の只中にいることは、今や周知の事実である。我が国は、暴力と憎悪の広範なネットワークに対して戦争をしている。我が国の経済は、極めて脆弱になっているが、これは一部の者の強欲と無責任の結果であるのみならず、我々全員が困難な選択を避け、次世代に備えてこなかった結果である。家は失われ、職はなくなり、企業は倒産した。医療費は高過ぎる。余りにも多くの学校が荒廃している。加えて、我々のエネルギー消費のあり方が敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日を追うごとに増え続けている。

これらは、データと統計に基づく危機の指標である。また、測定不能ながらも同様に深刻であること、それは米国全土での自信の喪失―そして、米国の凋落は避け難く、次の世代は下を向いて過ごさねばならないという、拭い難い恐怖である。

今日、私は諸君に言いたい。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻かつ多数である。これらは容易には、また短期間では克服できまい。しかし米国よ、判ってほしい―試練はいずれ克服されるのである。

この日、我々が集ったのは、恐怖ではなく希望を、闘争と不和ではなく目標の共有を選んだが故である。

この日、我々は、余りにも長きに亙って政治を抑圧してきたこと、即ちつまらない不満や偽りの約束、言い争いや使い古された教条の終結を宣言するに至った。

米国はいまだ若い国家である。だが聖書の言葉を借りれば、子供じみたことをやめる時が来た。不屈の精神を再確認し、より良い歴史を選択し、世代から世代へと受け継がれてきた貴重な賜物と崇高な理想とを引き継ぐ時が来たのである。それはあらゆる者が平等であり、自由であり、かつ最大限の幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束である。

我が国の偉大さを再確認する時、その偉大さは決して与えられたものではないということが判る。我々の旅は、決して近道でも安易なものでもなかった。それは、臆病者―仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びのみを欲するような―のための道ではなかった。むしろ、危険を冒す者、実行する者、創造する者のためのものであった―中には名を成した人々もいたが、多くはどんな仕事をしているのかも知られていない者達であり、彼らが長く険しい道を歩んだ末に、我々を繁栄と自由へと導いてくれたのである。

我々のために、彼らはわずかな荷物をまとめ、新たな生活を求めて海を渡った。

我々のために、彼らは、劣悪な作業場で額に汗して働き、西部に移り住み、鞭打ちに耐えつつ硬い大地を耕した。

我々のために、彼らはコンコードやゲティズバーグ、ノルマンディーやケ・サンといった地で戦い、死んでいった。

幾度もこれらの男女は、手が擦りむけるまで、もがき、犠牲となり、働いた。我々がより良い生活を送れるようにと。彼らの目には、米国は個人の野望の集積よりも巨大であり、出自や富や党派の違いを超えた偉大な存在と映っていた。

これが今日、我々が続けている旅なのである。米国は依然として地球上で最も繁栄し、最も強力な国家である。米国の労働者は今回の危機が発生した時と同様、生産性が高い。米国は相変わらず創造力に富み、米国の商品やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も未だ衰えてはいない。だが、やり方を変えず、限られた利益に固執し、気の進まない決断は先延ばしにする、そんな時代は確実に過ぎ去った。今日からは、我々は立ち上がり、体の埃を払い、米国再建という仕事に再び取り掛からねばならない。

我々が為すべき仕事は至る所にある。経済状況は大胆かつ迅速な行動を必要としており、我々は行動する―新規雇用を創出するためのみならず、新たな成長基盤を築くために。我々は道路や橋梁、送電網やデジタル回線を整備し、もって我々の商業を支え、我々を結び付ける。科学をあるべき地位へと引き戻し、技術の驚異的な力を活用して医療の質を向上させつつ、そのコストは削減する。太陽や風、土壌を利用して自動車を走らせ、工場を稼動させる。そして新時代の要請に合うよう学校や単科大学、大学を変えていく。これら全てを我々は実行できるし、実行するであろう。

今、我々の志の大きさについて疑念を抱く者がいる―我々のシステムは多くの巨大な計画に耐えられないと彼らは指摘する。だが彼らの記憶は短い。彼らはこの国が何を成し遂げてきたのかを忘れている。想像力が共通の目的と結び付いた時、必要性が勇気と結び付いた時、自由な男女が何を達成できるのかを忘れてしまっているのである。
米国議会が一般向けに配布した、就任式のシルバーチケット

皮肉屋たちは、彼らの足元で大地が動いたということを理解できていない。長きに亙って我々を消耗させてきた、陳腐な政治論議はもはや通用しない。今日我々が問うべきは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、政府が機能しているのか否かである―家庭が人並みの賃金を得られる仕事や、費用負担が可能な医療や、尊厳ある引退生活を見出すことを、政府が支援しているか否かである。答えがイエスの場合は、我々は前進する。ノーの場合は、その施策は終了する。公金を預かる者は、適切に支出し、悪弊を改め、白日の下で業務を行う責任を負う―何となれば、そうすることによって初めて、国民と政府との間に不可欠な信頼を回復できるからである。

市場の善し悪しも、我々にとっての問題ではない。富を生み出し、自由を拡大する市場の力は比類なきものであるが、今回の危機は、監視の目がなければ市場は制御不能に陥るということを我々に気付かせた―そして、富裕層ばかりを優遇する国家は長く繁栄することができないということを気付かせたのである。我々の経済の成功はいつでも、単に国内総生産の規模だけでなく、繁栄が及ぶ範囲や、意欲のある者全てに機会を拡大する能力にかかってきた―慈善ではなく、それが公共の利益に通じる最も確実な道だからである。

防衛に関しては、我々は安全か理想かという二者択一は誤った考えであるとして拒絶する。想像を絶する危難に直面した建国の父らは、法の支配と人権を保障する憲章を起草し、それは何世代もの血によって拡大されてきた。これらの理想は今なお世界を照らしており、我々は己の都合で手放しはしない。巨大都市から我が父の生まれた小さな村に至るまで、今日という日を見ている他の人民や政府には知ってほしい。米国は平和で尊厳ある未来を求める全ての国々、全ての男女と児童の友であり、我々はいま1度指導力を発揮する用意があるのだと。

前の世代がミサイルや戦車のみによってではなく、信念と確固たる同盟によってファシズムや共産主義と対峙したことを思い出してほしい。彼らは、己の力のみでは我々を守れないことや、また意のままに行動する資格も与えられていないことを知っていた。代わりに彼らは、力というものは慎重に行使することで増大し、安全は大義の正当性、他の模範となる力、謙虚さや自制心から出ずるのだと知っていた。

我々はこの遺産の守護者である。こうした原理をいま1度拠り所とすれば、我々は更なる努力―国家間の更なる協力と理解―を要する、新たな脅威に対抗できる。我々は責任を持ってイラクを同国の人民に委ね、アフガニスタンでは苦難の末に平和を築き始めるであろう。古くからの友やかつての敵と共に、核の脅威を減ずるために、また地球温暖化という亡霊を撃退するために、我々は絶えず努力する。我々は、己の生き方について弁解しないし、それを守ることについて躊躇しない。テロを起こし、無辜の民を殺戮することによって目的を達しようと図る者に対してはこう言いたい。今や我々の魂はより強く、屈することはない。お前達は我々より長く生きることはできない。我々はお前達を打倒する。

我々の寄せ集めの遺産は、弱みではなく強みである。我々はキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者の国家だ。我々は、地球上のあらゆる場所から来たあらゆる言語や文化によって形作られている。我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代を超えてより強く、より団結するようになった。我々は、古い憎悪はいつかはなくなると信じてやまない。民族の境界線はいずれ消える。世界が小さくなるにつれ、我々に共通の人類愛が現れる。米国は、新たな平和の時代を先導する役割を果たさねばならない。そう信じてやまないのである。

イスラム世界に対しては、我々は、互いの理解と互いの尊敬に基づき、進むべき新たな道を模索する。争いの種を蒔き、自国の社会問題の責任を西洋に負わせようとする世界各地の指導者らよ―国民は、何を破壊するかではなく、何を築くことができるのかで評価を下すということを知るべきだ。汚職や謀略、異論の封殺を通じて権力に執着する者は、歴史の誤った側にいることを知るべきだ。だが握り拳を開くのならば、我々は手を差し伸べよう。

貧しき諸国の人々に対しては、約束しよう。農場に作物を溢れさせ、清浄な水が流れるようにするために、また飢えた体に滋養を与え、渇いた心を満たすために、共に汗を流すと。そして我々と同様に比較的豊かな国々に対しては、国外での苦難に関心を持たず、影響を考慮しないままに世界の資源を浪費するなどということは、もはや許されないと言おう。世界は変わった。だから、我々も共に変わらねばならないのである。

我々は面前に延びる道について考える時、今この瞬間にも遥か彼方の砂漠や遠くの山々を警邏している勇敢な米国人たちのことを、謙虚な感謝の念をもって思い起こす。彼らは、アーリントンに眠る亡き英雄たちが時代を超えて囁くが如く、今日我々に語り掛ける。我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由の守護者であるが故のみならず、奉仕の精神を、即ち己よりも偉大なものの中に意味を見出だそうとする意志を体現しているが故である。これこそ、今この瞬間に―新たな時代が作られようとしている瞬間に―我々全員が持たねばならない精神なのである。

政府が為し得ることや為すべきことは、究極的には我が国が依拠する米国民の信念と決意である。それは、堤防が決壊した時に見知らぬ人をも受け入れる親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを座視せず、己の労働時間を削る無私の心である。煙に満ちた階段を突き進む消防士の勇気や、子を育てる親の意志、これらが我々の運命を最終的に決するのである。

我々の挑戦は新しいのかもしれない。それに立ち向かう手段も新しいのかもしれない。だが我々の成功は、勤勉、誠実、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている―これらは古くから変わらない。これらは真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げる、静かな力となってきた。今必要とされているのは、こうした真理への回帰である。今我々に求められているのは、新たな責任の時代である―米国人一人ひとりが、自身や国家、更には世界に対して義務を負っていることを認識し、かつこうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることである。困難な任務に己の全てを捧げることほど、精神を満足させ、我々の気質を示すものはないのである。

これが市民としての代償であり、約束なのである。

これが我々の自信の源泉である―不確実な運命を己の手で形作るよう、神は我々に命じたのである。

何故あらゆる人種や信条の男女や児童が、この立派な遊歩道の至る所で式典に参加できるのか。そして、60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父を持つ男が今、何故諸君の眼前に立って最も神聖な宣誓を行うことができるのか―これこそ、我々の自由、我々の信条の意味するところなのである。

だから、我々が何者なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたのか。今日という日をその記憶に焼き付けようではないか。米国建国の年、何ヶ月もの酷寒の中、わずかな愛国者の一団は凍て付く川の岸辺で、消え入りそうな焚き火の傍らに身を寄せ合った。首都は打ち捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血に染まった。独立革命の成り行きが疑わしくなった時、建国の父は、人々に次の言葉を読むよう命じた。

「……未来の世界で語られるようにしよう。希望と美徳しか生き残れないような厳冬の中……共通の危機に晒された都市と地方が共に立ち向かったのだと」

アメリカよ。共通の脅威に直面したこの苦難の冬にあって、これら不朽の言葉を忘れずにいよう。希望と美徳とをもって、この凍て付く流れに敢然と立ち向かい、いかなる嵐が来ようとも耐え抜こう。そして将来、子々孫々に至るまで語り継がれるようにしようではないか。試練に晒された時、我々は旅を終わらせることを拒み、後戻りすることもたじろぐこともなかったと。我々は地平線と神の恩寵とを見詰め、自由という偉大な賜物を運び、それを未来の世代に無事に届けたのだと。

ありがとう。神の祝福が諸君にあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。


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